
ネズミがいなくなった家で、私が思うこと
On 2016-11-01 by 成敗!ネズミ奮闘記〜退治までの60日間の記録とメモ〜目次
ネズミのいない生活のありがたさを噛みしめる日々
安眠できる日々。
ネズミの気配が消えてから1か月が経った。いなくなってすぐの頃は、もしかしたらまた現れるんじゃないか、単なるぬか喜びだったらどうしよう…と不安な気持ちで、天井裏に耳を澄ますクセがなかなか抜けなかった。
でもそのクセも最近ようやく抜けてきて、ふと「あぁ、そういえばネズミはもういないんだった」と思う。ネズミが出没していた頃は、寝ても覚めても頭の中がネズミのことばかりで神経が研ぎ澄まされてしまい、夜中ちょっとの物音でもすぐに目が覚めてしまっていた。
だけどそれも、ネズミのことを考える時間が減っていくとともに落ち着き、朝までぐっすり眠れるようになったことがとても嬉しい。
家族と穏やかな日々。
ネズミが出ていた頃はオットとの関係もぎくしゃくし、それが子供たちにまで影響してしまっていたけれど、今はまた昔のようにオットとも仲良くできている。
オットに対して不信感を持ってしまったこともあったけれど、ネズミの死骸を処理してくれたり、眠れないワタシを気遣ってくれたり、オットなりにちゃんと向き合ってくれていたんだなあと
今ならわかることだ。←そのときはそんな余裕全くなくて、オットに対して「ゴルァ!腰抜けめ」としか思えなかったけれど。
そんなワタシたちの様子に安心したのか、子供たちもまた以前と変わらない様子に戻ってくれた。
とにかく些細な物音や変化に神経質にならなくていい、そんな当たり前の、ネズミのいない生活のありがたさを噛みしめる日々だ。
ネズミに悩まされると、相当なストレスが溜まる
ご飯を食べられない日々。
実はネズミが現れてからというもの、ワタシは色々な意味でご飯を食べられなくなってしまっていた。ネズミが頭の中を占めていたので、それでお腹が空かなかったというのもあるし、ネズミが通ったであろう台所にいることも嫌だったし、その台所にある器具や食材を使うことも生理的に許せなかったのだ。
それでも家族にはご飯を食べさせなくてはならないし、だけどこんなところで料理なんてしたくないし…あんなに大好きだった料理が嫌いになってしまったことも辛かった。
あんなに愛着のある家だったというのに、ワタシは本気で手放そうと考えたこともある。今思えば「そんなことで…」と思われるかもしれないけれど、ワタシはそれだけ精神的に追い詰められていた。
ネズミに悩まされると、相当なストレスが溜まるのだ。
ネズミ駆除業者さんにお願いしてよかったこと。
ネズミ駆除業者さんにお願いしてよかったこと、それはネズミの駆除が確実だということがもちろんだけど、それだけじゃない。
自分たちのやり方で色々な手段を試して、手を尽くしてもダメだったとき、ワタシはどうしようもない無力感に襲われた。
どうしたらいいんだろう…と一人ぼっちになったような気さえした。そんなときにネズミ駆除業者さんにお願いしたのだ。
ネズミのことを知り尽くして淡々と対処するその頼もしい姿を見たときに、あぁ、ワタシはもう一人で抱え込まなくていいんだ、と肩の荷を一気に降ろすことができたような気がしたのだ。
もしかしたらまたネズミは出るかもしれない。
けれどもワタシがお願いした業者さんは保証期間があるので、もし何かあってもまた頼ればいい。そう思えるだけで、「ネズミ、出てこいや」と大らかでいられるのだ。←いや、本当に出て来てほしくはないけれど。
毎日の掃除や整頓を、以前より丁寧にやるようになった。
ワタシの中で変わったこと。
いくら業者さんが後ろ盾にいて安心だといっても、やはりもうこの家の中でネズミの気配を感じるのはこりごりだ。
本当に心の底から、あんな生活はこりごりだと思う。
だからワタシは心を入れ替えて、毎日の掃除や整頓を、以前より丁寧にやるようになった。家族の思い出の詰まったこの家を、心から大事にしよう、そう思う気持ちがワタシの行動を変えたのである。
ネズミに教わったこと。
もしもネズミが我が家に現れなかったら、ワタシは今も何だかかんだと言い訳をして掃除をサボり、家の手入れを疎かにしていただろう。
もしもネズミが我が家に現れなかったら、ワタシは今も仕事で忙しいオットを労わることもせず、オットが帰ってくる前にさっさと眠ってしまっていただろう。
もしもネズミが我が家に現れなかったら、家族と平和に過ごせる日々に感謝することもなかっただろう。
一時期はネズミに対して憎しみしか感じられなかったけれど、大事なのは、ワタシがそこから何を学ぶかだったんだと思う。
今あるこのシアワセを当たり前と思ってはいけない。
それが、ネズミがいなくなった家で、ワタシが今思うことだ。